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命の恩犬

また一人になった。三度目だ。
ジャングルの、飽和状態に近い湿度と暑さ、
さらに恐怖と焦りからくる変な汗が 不自然なほど出る。
それでも歩く速度を落とすわけにいかず、
悪路を薄っぺらい靴で早歩きしているせいで足の裏がイタイ。血がにじむ。
こんなところで死んでも、見つけてすらもらえないだろうな。

空間に密集している虫や微生物にあっという間に分解されて、
足もとを覆いつくしている葉や小枝と混ざって
私はこの辺の腐葉土に埋もれるのだろうか。
生命体が濃密に、ひしめいている。
隙間という隙間を奪い合っている。頭上の植物もパズルのように日光の当たる所を取り合っている。
気を抜くと自分の肉体も別の生命体に吸収されそうだ。
一個の生き物として、個別に存在を維持していくためには 各細胞をまとめ上げていくエネルギーが必要だ。
しかし、逆に、バラバラになってしまってもこの森の中にいる感じが残るであろうことは、体感としてわかる。
 
アンデス高地の、空気が薄く、乾いて生き物の気配がない寂寥の空間が少し懐かしい。
ここは命がぎゅうぎゅう詰めで 窒息しそう。このせめぎ合いから逃げて一息つきたいと思った。

夕暮れの気配がしてきて、さらに焦りが押し寄せて来た。
ふと気づくと、私の前や後ろを小柄な黒い犬がついてきている。
じっとこちらの目を覗き込んでくる。
かしこそうな人なつっこい犬だ。
おそらく人間に飼われている犬にちがいない。
この犬について行けばどこか人間のいる所に出られるはず。
ついて行くしかない。

最初のおじさんと同じで、この犬もジャングルを歩き慣れていて、進むのが速い!
4足歩行はこういう立体的な悪路に圧倒的に有利だ。
自分が、動物としてずいぶん軟弱に退化していることを痛感する。

時折、道のわきの薮の中で動物の鳴き声や 動く気配があると、
犬はそれを追いかけて薮の中を走り回る。
2足歩行で軟弱で服を来ている私はもちろん藪の中に入れない。
オーイ、オーイ、イヌーと呼びながらそこでじっと戻ってきてくれるのを待っているしかない。
もう命の綱はこの犬しかないのだ。

数分すると、少し先の薮からズボっと出てきてくれる。そして再び私を引き連れてとことこ歩き出す。
それを何回かくりかえす。
犬にとっては道すがらの遊びか、うまくいけばおいしいものにありつけるかで、
とてもうれしそうに、薮に突っ込んでいく。
そのたびにこちらは戻ってきてくれるか、
どれくらい時間がかかるのか
不安で縮みあがっているのに。
私の心配すら楽しんでいるようにも見える。

でも冷静に考えたら、彼(犬)には私を助ける義理もなければ、関係もない。
たまたまさっきから同じ獣道を通っているだけである。
それでも、私がひどく遅れると様子を見に戻って来てくれるし、
小川の上にかかっている丸太を渡っている時は向こう側からじっと見ていてくれる。
人間って なんてどんくさくて不便な形をした生き物なんだと思っているのかもしれない。
私はもうこの犬を信じ、命を預けている。
そう言えば死んだおじいちゃんが戌年生まれだったなあ、なんて思いながら。

落ちそうになりながら細い丸木を渡っている時、その下の小川になぜか金魚が。
金魚ではぜったいないと思うが、金魚に見える。金魚すくいのあの金魚。
熱帯魚?幻覚?

そして、そして、やっとやっと開けた空間に出た。
人間が手を入れた広場だ。小さな村。
今まで頭上を鬱蒼と覆っていた木々がない。
青空が見える。
足もとの草 灌木がない。

ああ人間の営み。人工物がこんなにありがたいいとは。文明。家。
アマゾン小学校

高床の家の大きめ一軒は小学校。
先生がひとり、上半身裸でぼけーっと座っている。
ゆでたバナナとちょっとすえたにおいのするご飯をくれた。
ご飯は危なそうだったので、こっそり恩犬にあげる。
イヌ様、ほんとうにありがとう。感謝してもしきれません。

写真でもわかるでしょ、この犬、なんか普通じゃない目をしている。
神々しいというか凛々しい。 
恩人

ここではじめて ちゃんと道を教えてもらう。
これまではいつも「ずーっと行った所」「あーっちのほう」ぐらいしか教えてもらえなかった。
まあ、ずーっとジャングルの中だから目印や交差点があるわけではないので、 そうしか言えないし、正しいとも言えるが。

そのあとまた2時間ほど歩いて、やっと湖に出た。そこから対岸までボートに乗せてもらう。薄紫色の鏡のような湖面をボートが静かに滑って行く。一日でいちばんきれいな音のない時間。疲労と安堵感で放心状態の私。

石や穴だらけの、ほこりの舞い上がる地道だけど、
人間が作った道、しかも輪だちまである道を見て、心底ほっとした。

私はもう動物として弱すぎて、文明の圏外に出ると、一日も生きてはいけないということを痛感した。
乗り合いトラックがエンジン音を響かせ、砂埃を巻き上げやって来た時、おんぼろトラックが最先端の機械に見えた。騒音がとか排気ガスがとか悪口を言ったことを反省する。
乗り合いトラックの荷台に乗せてもらって街まで行く。
街、人間のいる所はイイ。少なくとも動物や虫たちに食べられることはないはず。
道、車、人、街 サイコー!
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テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

ジャングル ジャングル

獣道ていどの道をひとりで半泣きになりながら歩く。
ブッシュの中では がさごそと動物の気配がする。
とにかく前に進むしかない。後ろは沼だし。
人間がいる所までなんとかたどり着かなければ。
日が暮れれば、命が危うい。今でも十分危ういけど。
お願いだから一本道であってくれ~
  ジャングル 葉

早歩きで、倒木や木の根の上をずんずん行く。
さっきのおじさんのように分厚い足の裏があれば裸足が一番歩きやすいだろう。
靴ずれなのか、変なものを踏みつけたのか、足の裏の皮がすり減ったのか、足の裏に血が滲む。
しかし、痛いと感じている余裕がない。
アマゾン 木
どのくらい歩いたのだろうか。
少し陽が傾きだした頃 少し開けた場所に出た。
小さな家が4軒ぐらいある、
ああ、人間がいる。助かった。

そこには、絵画の中に迷い込んだような独特の時間が流れていた。
屋根を葉で葺いた高床の素朴な家の縁側では、
上半身裸のふくよかな女性が、沐浴後の長く艶やかな黒髪をゆっくり梳かしている。
豚や鶏や犬や子どもが庭を駆け回っている。
小さなたき火から 細く青白い煙が ゆっくりとのぼっている。
静かな川面には夕日が反射している。
壁のない家の中にはハンモックがゆれている。

こんな絵があったなあ。
煙の匂いと、鶏の鳴き声が、なんだか懐かしい。昔こんな光景の中にいたような記憶が。。。
高床の家

たぶんこの場所しか知らず、ずっとここにいるであろう彼等の横を、
息を切らして、何かを探して小走りに行く私。

「道路はどっち?」「あとどのくらい」と聞くと、
「あっちの方、ずーっといった所」「もうちょっと」

そのあとも2回ほど、同じような 家と人があったが
私は大汗をかきながら「あと何分ぐらい?」とバカな質問。
そして答えはいつも「もうちょっと」。
この「もうちょっと」が、5分なのか、30分なのか、1時間なのか、半日なのか、
1日なのか、それとも・・・3日なのか。私にはわからない。
だれに聞いても「もうちょっと」。「もうちょっと」でかれこれ6時間ぐらい歩いている。

私は絶体絶命の窮地にいるのだが、
その一方で、実に静かでゆったりとした美しい光景にみとれていた。
おそらくここには時計というものがないのだろう。
あったとしても、存在価値を認めてもらっていないか、無視されているのだろう。 

分や秒といった単位で細切れにされていない 時間。
直線として過去から未来へ進んでいくと思い込んでいる我々の時間感覚の薄っぺらさ。  

しかし、現実はえらいことになっている私。日が暮れたら死ぬ。
「あっち」と言われるほうへ、「もうちょっと」を信じて 再び歩き出す。
村の人は、野犬に襲われるといけないからと言って長い棒を持たせてくれた。
でもその木は3mぐらいあって、枝や葉もついている。棒というより木だ。
これをひきずっていくのは無理。 
見送ってくれている村人の姿が見えなくなってから   こっそりその木を置いていく。

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カヌー少年

こんな所で誰が来るというのか。
だが、しばらくして、指笛に応えるように少年(6、7歳ぐらい?)が沼の向こう岸にひょこっと現れた。
小さいカヌーに乗ってこちらに来た。
おじさんが少年に話してくれて、向こう岸までのせてくれるみたいだ。
カヌーの少年の後ろに乗って、沼を進む。
体より大きい櫓を操って小さなカラダでカヌーを漕いでくれている。

カヌーを漕いでいる少年の後ろ姿があまりにもいじらしいのでカメラのシャッターを押した。 カシャッ
アマゾンカヌー少年


その瞬間
少年は振り向き、恐怖で引きつった顔で「それは何だ」と言う。
「カメラ」と答えたら「カメラって何だ」と言った。
向こう岸に着くやいなや、少年は後ろもふり返らず、小動物のような俊敏さででジャングルの中に逃げていった。
       
続きの道、おしえてほしかった、、、。
呼んでももう帰って来てくれない。
おじさんの姿ももうない。
あのおじさんは、純粋に親切なおじさんだったのだ。

ついにジャングルにひとりっきり。


アマゾンで迷子

ペルーのアマゾン プカルパで
ジャングルの先住民族の村を訪れるツアーをいろいろ宣伝していた。
外国人観光客用のツアーはペルーに住んでいる者にとってはとても手が出ないほど高価。

決めかねて船着き場をウロウロしていると、
サンフランシスコ村行きの乗り合いボートがあった。
ツアーの目的地の名前もサンフランシスコ村だ。
これで安く同じ場所にいける。
路線バスならぬ路線ボート。地元のおじさんおばさんたちと
小さな舟に乗り込む。値段もバス並み。

途中、乗客がここで降りる と言ったら着岸し、降りた人たちは黒緑のジャングルに消えて行く。
ボートでしか行き来できない所に住み続けるのは何があるからなのだろうか。
そんな乗り降りを繰り返した。
サンフランシスコ村で降りると乗船前に言っておいたので、ここだ と言って降ろしてくれた。
何人も降りるだろうと思っていたのに、降りたのは私だけ。

そしてついたのが、、、、、こんなとこ。
ここがペルーのサンフランシスコ村...

2、3軒の高床式の家しかない。観光客どころか人影がまったくない。

とにかく すみませーん という感じで、声を上げていると村人が出て来た。
ここはサンフランシスコですよね と村人に聞くと、
そうだけど、この辺にはサンフランシスコという村が三つある と言う。
えーー!!まさかーでしょー!
そして、このサンフランシスコは、ツアーで行くサンフランシスコとは別の村だと言う。

さて、どうやって戻るか。
のぞみ薄だが、とりあえずさっき降りた川辺の土手まで走ってもどる。
当然だが、すでにボートも航跡もエンジン音もない。
他のボートの気配もない。

村人に街までどうしたら戻れるかきいた。
川を通るボートを待って叫んでとめて乗せてもらうか、車の通る道まで歩くしかないらしい。
ボートはいつ通るかわからない。村のおじさんが車道へ行く途中まで案内してくれると言う。

ジャングルの中をおじさんと二人で歩くのは、それなりに危ない気がするが、他に選択枝がない。
村に泊まるのはもっとヤバそうだ。行くしかない。

いざという時の武器になりそうなものはカメラぐらいしかない。そのへんの石も考えたが。小さくて軽いバカチョンカメラだけど。
カメラを逆手に持って、おじさんのあとを必死でついていく。

村人は裸足で、歩くスピードがものすごく速い。飛ぶように進む。倒木の上を橋のように渡ったり、木の根を跨いだりとにかく早歩きでひょいひょい進んで行く。裸足の足の裏はでこぼこの地面を的確につかみ、ぬかるみもおかまいなし。ジャングルでは、分厚い素の足の裏が、歩くのに一番適している。素足の優秀さを初めて意識した。しかし、私の素足は軟弱になりすぎていて、数mも歩けないだろう。靴はアマゾンの複雑な形状の道には不向きだ。ぐらぐらするし、指でつかむこともできない。濡れれば気持ち悪い。自分の足元、靴がとてもマヌケに見えた。
 
 乾期のジャングルの中をほぼ駆け足でついて行く。ユカの畑、と言っても自然に生えているのと見分けのつかない自由な植え方の畑も通った。そして、林を抜けて、小さな沼にでた。絵に描いたような、沼という呼び名がぴったりの沼らしい沼である。
 ここからどうするのか。やはり、この村人は悪い人で、ここで身ぐるみ剥がされるのか。

おじさんは、指笛をならして誰かを呼んでいる。
仲間が来るのか!

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