FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

独立記念日に出産

メキシコ独立記念日に出産

 一人目の子どもをメキシコで出産した。下の子たちは日本で出産したので、その違いがとても興味深かった。
 メキシコにいた時、妊娠中の定期検診を個人の医師の小さな診療所で受けていた。病院の無機的な空間とは異なる、暖かみのある落ち着いた部屋で、心理カウンセリングを受けるような雰囲気でソファにすわり、ゆっくりドクターと話をすることができた。予約制で最低一時間、ときには2時間ぐらいかけての診察だった。診察室で内診や計測などの検診を受けた後、別の応接室のような部屋でじっくりと相談をすることができる。医学的なことはもちろん、普段の心がけから食事のレシピまで指導してもらえる。妊婦にありがちな便秘にはパパイヤの種を少し入れたスムージーをすすめられ、毎日飲んでいた。ハイビスカスのお茶も毎日飲むように言われた。かかっていたオメオパタの医師に紹介してもらったので、西洋医学オンリー のドクターとは少しちがっていたのかもしれない。ドクターとたっぷり時間をかけて話ができたことは、異国での初めての出産の不安解消のためにとてもありがたかった。ただ、エコー撮影は水を2ℓも飲まなければならない旧式の機械だったので、膀胱が破裂寸前でつらかった。
 分娩は、出産専用の大きな病院でするのが一般的だった。各診療所から産むためだけにやってきた妊婦だらけの大病院は独特の雰囲気があった。分娩室がずらりと並んでいる様子は、明るい工場のようにも見えた。周産期は混まない小さな診療所で丁寧に診てもらい、リスクの伴う分娩の時だけ施設が整っていて入院できる大きな病院へ、それまで診てもらっていた診療所の主治医とともに行くというのは効率的なシステムだと思った。
 だが、幸か不幸か産気づいたのがメキシコの独立記念日で、街はお祭り騒ぎ。とりあえず出産用の病院に入院したが、私の主治医もお祭り気分でどこかへ行ってしまっていてぎりぎりまでつかまらなかった。病院の出産助手みたいな人に「先生はもうすぐ来るから」と励まされ続けた。結局、出産の途中まではその大病院付きの助産師さんが手助けしてくれて、ギリギリで主治医の先生が駆けつけた。    
 独立記念日のおかげでバタバタと落ち着かない出産だったが、娘の誕生日がメキシコの独立記念日になったので、誕生日を言うたびに「なんて愛国心のある子なの!」と、わけのわからない賛辞を受けたものである。
 出産直後、自分の病室に戻ったら、なんと職場の同僚がずらりと全員いる。朦朧とするなかで、おめでとうのハグを全員がしてくれたが、産んですぐなのでめまいがしてきつかった。日本ではこのタイミングでは普通来ないと思う。これはメキシコでは当たり前のことなのか、私のいた職場が変わっていたのかわからない。ありがた迷惑このうえない。
 すごく空腹だったので病院のステーキを食べた。
 役所の人が出生登録のために病室に来た。生まれたての娘の、直径1センチに満たない小さな指印を押したのが印象に残った
 そして、翌日には、特に問題ないので退院しますかと聞かれた。異国で家族もいないので、少しでも病院で休むために、もう一泊させてもらった。日本で出産した時は一週間ぐらい入院して、授乳や沐浴のしかたまで教えてもらって至れり尽くせりだったのに。そういえば、入院の前も、持ち物はとドクターに聞いたら、化粧品ぐらいと言われた。国が違えばこうも違うものか。
 退院した日、自宅のベッドに赤ん坊を置いて夫とベッドに腰掛けて、さてどうしましょうと途方にくれていた時間を今でも思い出す。ここから先は自分たちだけでこの小さな生き物の命をを維持していかなければならない。毎朝、息をしているか緊張気味に確認していた。  ベビーバスがなかったので、いきなりシャワー。
 日本語の育児書も持っていなくて、当時はインターネットもそんなに普及していなかったので育児のほぼすべてがわからない。私の家族は日本、夫の家族はアメリカにいるので遠くて頼れない。職場の仲間は、子育てがだいぶ昔のことにになってよく覚えていない世代だったり、独身だったりで、これもあまり頼りにならない。
 結局なにもかも本能に聞くしかないという状況だった。
あれこれ赤ん坊の心配事の質問をためて、検診の時にドクターに聞きまくるのであるが、たいていのことは「それ普通」と言われた。
 よくわかったのは、赤ん坊というのはけっこう強く、少々まちがっても、大丈夫ということだった。かわいいのを味わっていれば、必要なサインは赤ん坊のほうが出すし、親は本能的にそれに対応できるようにできている。要はそれを信じられるかどうかだ。過剰な頭だけの知識は迷いを増やして、感じることを鈍らせてしまうのかもしれない。
 例えば、離乳食のスタートにしても、赤ん坊が、親の食べ物をだらだらヨダレをたらして必死に食べたそうに見ていたらちょっとあげてしまう。そして特に問題なくもっとほしがったらあげてしまう。そんなふうに、始まっていった。何ヶ月で何をスタートというのは細かく分かってはいなかった。ただ、柑橘系のものと魚のスタートについては早すぎないようにドクターから言われていた。
 妊娠中も赤ん坊が生まれてからも、メキシコでは街の人々が自然に助けてくれたので、どこでも安心して出かけることができた。バスの乗り降りの時には、周りにいる知らない人が手をかしてくれたり、荷物を持ってくれたりした。ドアの開け閉めやエレベーターのドアの操作も気遣ってくれた。段差が多く、道は古くてでこぼこの石畳で、物理的には全くバリアだらけだったけれど、人の優しさのおかげで不便に感じることはなかった。ハード面でのバリアフリーはないけれど、ソフト面でバリアフリーになっていた。赤ん坊連れの時は女王様気分を味わえた。赤の他人の赤ん坊でもみんなニコニコとちょっかい出してくれたり、気遣ったりしてくれた。   
 出産の2日前まで仕事をしていたし、出産後は1ヶ月自宅で仕事をし、その後職場復帰をした。夫が主に面倒をみていたが、どうしてもふたりとも仕事の時間が重なる時は、職員室にある大机の上に転がしておくと、賄い作りのセニョ−ラや休憩中の教師が面倒を見ていてくれた。今から思うと非常識なことをしていたのだが、みんなの厚意に甘えてしまっていた。赤ん坊はみんなのおもちゃになっていた。以前はヘビースモーカーだらけで煙突のような職員室だったのが、いきなり学校中が禁煙になった。現在はメキシコでは喫煙できる場所が厳しく決められているが、ふた昔前は、モクモクだった。 
 メキシコを出たとたんに手助けしてくれる人や話しかけてくれる人が減って困惑したものだ。
 子育てについては、周りの人々があることないこと様々なアドバイスをくれた。毎朝オリーブ油をスプーン一杯飲ませなさいとか、レタスを枕元に置いておくと寝付きが良いとか、体調が悪そうな時は生卵で邪気を吸い取れとか。実行したものはないが。レタスは
科学的根拠があると日本のテレビでやっていた。
 メキシコでは人と人とのふれあい距離が近いので、初対面でも普通に話しかけることが多い。娘は赤ん坊の時に、いろんな人にかまわれまくったためか、今でも人懐っこい。そんな距離感のまま日本で同じ年頃の小さい子どもに接しては、相手の子に引かれていた。
 外国での出産子育ては戸惑うことばかりだったが、多くの人のおせっかいに守られて、楽しかった。

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。