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シンパティコ

泥棒の話をいろいろ書いたけど、いい人のほうがほとんどである。

人への気遣いや助け合いの気持ちはごく自然にあふれているし、ささっと当たり前に行動できる人たちである。心地よいおせっかいが溢れている。乗り合いバスでは、たとえぎゅうぎゅう詰めでも全員が少しづつ腰を浮かして新たに乗ってくる人のスペースを作ろうとする。そんな空気がどこにでもあるから、一人で旅をしていても、この人たちがいる所では、何かあっても大丈夫と感じていたし、実際、どれほど助けてもらったことか。。

 物理的にはバリアフリーではまったくないけど、いつも必ず知らない周りの人が手を貸してくれるので、大丈夫。
特に、妊婦、赤子連れの時はもう女王様。スーパーマーケットでもバスでも。道は開けてくれるし、荷物は持ってくれるし、乗り降りは手をひいてくれるし。席は100%譲ってくれる。それができないことは人間としてダメといった目で見られる。

 帰国前に服を寄付したのだが、ジーパンのポケットに時計を入れっぱなしにしたまま渡してしまった。私は気づいてもいなかったが、数ヶ月後、いろんな人をたどって、家まで持って来てくれた。人から人へと面倒だったと思うけど、戻ってきた時には感動した。
USSRの時計で、小さくて手巻きで気に入ってたので嬉しかった。また失くしたけど。

 中南米を一人で旅をしていたが、当時、バスターミナルなど、人ごみにいると呼吸や脈が弱くなって気を失ってしまう持病があった。今でいうパニック障害に近いのかもしれない。ぺルーのバスターミナルなどでも何回も倒れたりしたが、意識が戻ると何人もの知らない顔が倒れている私の顔を心配そうにのぞきこんでいた。パタパタと扇いで風を送ってくれている人、荷物を守っていてくれる人、アルコールを嗅がして気付をしてくれている人、汗を拭いてくれている人。みんな通りがかりの見ず知らずの人たちである。

彼らの人と人との関係のあり方は、その死生観と関係していると思う。それはまた別の時に詳しく。
 
 日本に帰国直後、東京駅でおばあさんがエスカレーターの上の方から転がり落ちてきて、私ひとりでは支えきれず、誰か助けて下さいと叫んだのに誰も助けてくれなくてショックを受けたことがあった。
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