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砂漠のミイラが、リマでベトベト 

砂漠のミイラが、リマでベトベト 
砂漠を歩くと、人間の骨にいっぱい出会う所がある。昔の埋葬跡で、めぼしい副葬品は墓泥棒に盗まれて、残された骨。骨。
とても乾燥したサラサラの白砂のそこここにある真っ白な頭蓋骨や大腿骨などに不気味さは全くなく、平気で手でさわれる。
外国の研究者が砂漠のミイラををリマに大量に運んだ。ジャガイモのはいったズタ袋みたいに、博物館の倉庫に夥しい数が保管されていた。リマは湿度が高いので、水分を含んで袋に汁がしみてきている。学術的にキチンと開けていくには時間と費用がかかるので、積まれたまま。
せめて砂漠にそのまま置いておいたら、汁が出るようなことにはならなかったのに。
博物館のバックヤード?を見せてもらう。頭がい骨は外科手術や変形がなされていてさまざまな形になっている。
ハート形もある。頭がい骨手術で穴のあいた物もあった。あなは一個のものもあれば2、3箇所開いているのもある。穴の部分の骨が少し再生しているので、手術後も生存していたことがわかる。
<写真 入れる>

アマゾンの縮首もある。まつげもはっきり見える。頭頂には持つための?ヒモもついている。頭がい骨をぬいてから煮て干してを繰り返し縮めるとか。私も一度セントロ近くの道で、買わないかと声をかけられたが、現在は売買禁止されている(当たり前)し、いらんし。

横転バスの救助

この後アレキパからリマまでまた長距離バスで移動。
船や列車で色々あったためか、生まれて初めての車酔いになった。
脂汗を流しながら吐き気とたたかっていた。パンアメリカンハイウェイは砂漠の中の一本道で、
まわりは見渡す限りの砂漠なので、最悪の場合窓から吐けばいい。と思ったら窓が壊れていて開かない。ナスカ平原あたり。
我慢してたけど、もう砂漠で死んでもいいから降ろしてもらおうと、運転席の方に向かった瞬間、バーンという音とともにバスが急停車。ラッキー、私にとってはこれ以上ないタイミング。砂漠に一人降りることは危険すぎる。でも、パンクによって全員降りて来たから、安心だ。念ずれば叶う。大ピンチの後に小さく救われることが多い。この時ばかりは、自分には変なパワーがあるのではと真剣に思った。そんなわけはないが、あまりにもタイミングがはまりすぎで。
結局修理が終るまで、砂漠で数時間足止めになったが、一人で降りることと比べたらゼンゼンOK!
他の人たちも文句を言うこともなく、砂漠の起伏の向こう側で用を足したりしていた。こういう時の忍耐強さはすごい。
もしパンクしてなくて一人で下車していたらどうなっていただろう。ビニール袋大事。いつでも吐けるように。

パンアメリカンハイウエイの夜行バスにはは毎週末ほど乗っていたので、バス会社の特徴もよくわかる。とにかく速い会社、豪華だけどちょっと遅い会社、安い会社など。バス会社によって所要時間がえらく違うのも不安だ。スピードをとるか安全をとるか。

夜行バスで走っていると、ひやっとすることがよくある。
ハイウエイとは言え、細い一本道が、真っ暗な砂漠の中をひたすらまっすぐに走っているだけである。
鋪装道路の両わきはガードレールもなくそのまま段差があって砂漠の地面。
運転手はそこを恐ろしいスピードで走る。休憩もあまりとらない。

たまに 途中のドライブインで食事休憩をとることもある。
日本の夜行バスのように「⚪︎分間休憩です。⚪︎分にはバスに戻ってください。」というお知らせは一切なく、突然停止して、運転手がレストランで食事を始める。私たちもそそくさと食事を摂ったりお手洗いに行ったりする。怖いのは出発もいきなりバスが動き出すということである。常に運転手の動きを注視していなければならない。彼らが乗り込んだらすぐに勝手に出発するので、それまでに乗り込まないと置いていかれる

一度、横転したばかりのバスに出会った。私のバスは救助のために停車。乗客みんなで横転したバスのフロントガラスの割れたところから車内に入って、けがをした乗客をバス外に運ぶ。
子供がお母さんを探して泣き叫んでいたので、いっしょにさがす。
別のバスを止めて、街まで、けがをした乗客をはこんでもらう。救急車とか警察に連絡している気配はなし。救急車はあまりないし、民間で有料。呼んだとしてもここまでは数時間かかる
公共サービスはないに等しいので、自分たちでなんとかするところがすごい。
以前道で事故にあった人の腹部に大きな石をのせて止血??しているのを見た

チャチャポヤス


 山の上のすごい遺跡 山の上の崖の途中に穴が作らていて、素朴な立像(モアイ風)が数体ならんでいる。その頭や肩には頭がい骨がおかれている。当時あまり知られていなくて、ドイツのTVクルーが撮影に来たぐらい。その近くの山の遺跡にガイドと二人で登った。すごい遺跡に感動した帰り、よりによってガイドが膝を壊し、ガイドに肩をかしながらというか、半分かつぐ状態で険しい山を下る。
遺跡にあるものがどんどん盗まれているらしい。えーそんなんしたらあかんやん。と言ったら、うちにもあるよ。と言う。買う?と聞かれたが持って帰れない。し、法に触れるやろ。 後日 そのガイドはリマの博物館にその像を売りにきて100ドルと言われてやめた。そのお金でひざの手術をしたいとか言っていた。
 日本に帰ってから、某有名市立大学の探検部の方が自宅まで情報収集に来た。チャチャポヤス(上記の遺跡のある所)で、そのガイドから私のことを聞いたらしい(その時貸したビデオを返してくれなくて大学あてに手紙を書いて取り返したこともあった)。

引き出しにピストル

 日本語学校の同僚は海軍のパイロット。 
 日本語教師もしている。
     
 職員室の引き出しにピストルを入れておくので迷惑
 聞けば軍人はいつも携帯義務があるとか。さすがに教室に行くときは置いて行くのだが、それが引き出しの中。
 「ホッチキスかしてー」とか言って引き出しを開けるとピストルがゴロン。物騒。

 その同僚が軍人なのに、地下鉄構内で3人組の警官に襲われピストルをとられて、しょげていた。

 映画トップガンに出てくるような戦闘機に乗ることもあるらしく、強い重力のため、その後は下痢をするのだと か。

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狂犬病の犬の首が盗まれる

地方で知り合いの日本人が犬に噛まれた。
その犬は狂犬病のように見える症状だった。
その人自身は狂犬病の予防接種をしているものの、
その噛まれた犬が本当に狂犬病かどうか調べるために首都リマまで犬の首を
大事に大事に持って来る途中、バスの中でその入れ物を盗まれた。

盗んだ人は、驚いただろう。
日本人がとても大事そうに運んでいる箱を盗んでみたら
中身は犬の首だったとは。

聞いた話なので、本当の話かどうかは知らない。
でもこんな話、作ろうとしても作れない。ハズ。

カラテカ(空手家)か?

道ですれ違いざまよく「チナ」とか「オユキ」とか言われる。
チナは、直訳では中国人(女性)だけど、アジア人ぽい風貌の人をまとめてそう呼ぶ。
オユキは昔ヒットした日本人が出てくるドラマ
たいてい聞き流すのだが、前から言わずに後ろからこそっと言うのでムカっとすることがある。たまに、ふり返って追っかけて行くことがある。そうすると
「お前はカラテカ(空手家)か?」と聞いてくる。 
「そうだ」 と言うとピューっと逃げて行く

罰金がガソリン直抜きって

 運転中警察に因縁をつけられる。ライトがついてないとかなんとか(昼間)
 なんかいろいろ難癖をつけたあげく 
「交番の電球が切れてるから電球を買わないといけない。罰金払え」って。
「お金持ってない」と言うと
「現金がなければ、ガソリンでいい。ぬかせろって。」
 ガソリン直抜きで罰金って、あなた...

「この車には探知機が着いていて、今私がどこにいるかはすべて日本政府が把握している。」
なんてこっちもマンガみたいなこと言ったら、「行ってもいい」 だって

シンパティコ

泥棒の話をいろいろ書いたけど、いい人のほうがほとんどである。

人への気遣いや助け合いの気持ちはごく自然にあふれているし、ささっと当たり前に行動できる人たちである。心地よいおせっかいが溢れている。乗り合いバスでは、たとえぎゅうぎゅう詰めでも全員が少しづつ腰を浮かして新たに乗ってくる人のスペースを作ろうとする。そんな空気がどこにでもあるから、一人で旅をしていても、この人たちがいる所では、何かあっても大丈夫と感じていたし、実際、どれほど助けてもらったことか。。

 物理的にはバリアフリーではまったくないけど、いつも必ず知らない周りの人が手を貸してくれるので、大丈夫。
特に、妊婦、赤子連れの時はもう女王様。スーパーマーケットでもバスでも。道は開けてくれるし、荷物は持ってくれるし、乗り降りは手をひいてくれるし。席は100%譲ってくれる。それができないことは人間としてダメといった目で見られる。

 帰国前に服を寄付したのだが、ジーパンのポケットに時計を入れっぱなしにしたまま渡してしまった。私は気づいてもいなかったが、数ヶ月後、いろんな人をたどって、家まで持って来てくれた。人から人へと面倒だったと思うけど、戻ってきた時には感動した。
USSRの時計で、小さくて手巻きで気に入ってたので嬉しかった。また失くしたけど。

 中南米を一人で旅をしていたが、当時、バスターミナルなど、人ごみにいると呼吸や脈が弱くなって気を失ってしまう持病があった。今でいうパニック障害に近いのかもしれない。ぺルーのバスターミナルなどでも何回も倒れたりしたが、意識が戻ると何人もの知らない顔が倒れている私の顔を心配そうにのぞきこんでいた。パタパタと扇いで風を送ってくれている人、荷物を守っていてくれる人、アルコールを嗅がして気付をしてくれている人、汗を拭いてくれている人。みんな通りがかりの見ず知らずの人たちである。

彼らの人と人との関係のあり方は、その死生観と関係していると思う。それはまた別の時に詳しく。
 
 日本に帰国直後、東京駅でおばあさんがエスカレーターの上の方から転がり落ちてきて、私ひとりでは支えきれず、誰か助けて下さいと叫んだのに誰も助けてくれなくてショックを受けたことがあった。

チチカカ湖でボート故障

4000m級の高地では空気中の浮遊物が少ないせいか、それとも気圧が低いせいか
すべての物がクリアに見えすぎる。色彩がカキーンとしている。
湿気によるぼかしがない。

音がない。反響しないで拡散していく。

赤茶けた乾いた岩と砂の上に立つと
青すぎる空しかない。
宇宙にむき出しにさらされているような感覚。
紫外線が暴力的。目や皮膚に突き刺さる。
拡散の怖さ。開かれた不安。
逆にアマゾンは密集の恐怖、押しつぶされる息苦しさ。

歩きながらずっと編み物をし続ける男たち
写真挿入予定
タキーレ島では男たちが歩きながらずっと編み物をし続けている。話している時も歩いている時も、手を止めずに編み続けている。土色と、空と湖の青色以外の色が無いので、彼らの黒い衣装と深紅の織物が目にしみるほど鮮やかだ。
※ チャスキー 挿入

島からの帰りのボートが突然動かなくなった。湖の真ん中で停止。
まず、助手らしき小学生くらいの子供がナイフを口にくわえ冷たい湖に飛び込む。
何回も潜ってスクリューのあたりを調べる。

その後、船の板を剥がして、金ノコでパイプを切断し始めた。結構な大修理である。問題は、工具箱らしきものは見当たらないことだ。工具がほとんどない。船頭はそのへんの部品を適当にひっぺがして金槌でたたいて工具を作っている模様。船(私たちが乗っている!)の板を止めている釘を抜いてその頭をがんがん叩いてドライバーらしきものを作っている。手製のドライバーを作り始めたのだ。船体がばらけたら元も子もない。工具作りからスタートで気が遠くなった。ぺルーの人のこういう場面での粘りとタフさにはいつも感服させられる。日本人なら、というか私ならとっくに諦めているだろう。
 そう言えば、私たちライフジャケットも着ていない。
チチカカ湖は琵琶湖の8倍もの大きさ。泳いでは 無理。
視界の範囲に他の船はない。

帰りの電車と飛行機には間にあわないなあ。こんな寒い湖の上でどうなるのかなあ。
夕暮れが近づいてくる。
空と湖が赤紫から青紫にかわっていく。

どのくらい時間がたったか、結局、助手の少年の単なる接続ミスであったことがわかる。しかし、もう大修理であちこちバラバラ。これをもとにもどせるか。少年は船頭にしかられ、代わりに湖に潜らされる。もうすっかり暗くなり、風も身を切る冷たさ。少年は船に上がるなり泣き出した。青い顔でガチガチ震えている。みんなで身体をごしごしこすって温める。ダウンジャケットを貸してあげるくらいしかできない。
そして、乗客らが止めるのも聞かず、船頭が再度飛び込む。悪戦苦闘の末、なんとかもと通りに組み立てられた。祈るような気持ちでスイッチが入れられる。一回目スカ。二回目スカ。三回目ポロッポロッと頼りない音を立ててついにエンジンが復活した。いつ止まるかと冷やひやしながらなんとかプーノの港までたどり着くことができた。

ペルー人は最後の最後になんとかしてしまう。

リマで、車が道にあいた穴におちてタイヤホイル自体が曲がったときも、工具なしで、石でたたいてとりあえず走れるところまでなおした。
イベント準備も、段取り無しでねばりと人海戦術でやりとおす。
仕事でも、遅々として進まないのに、最後には帳尻を合わせてしまうぺルー人のスタミナを、
私は心の底では信頼している。それでも、しょっちゅう同じ事を何度も言い続けて急かさないと不安でしかたがない。
なので、その悪い癖を日本にいる今でもひきづっていて、同じことを3回ぐらい別のルートや人で確認してしまう。
日本でこれをやると、たいがいムッとされる。そんなにしつこく聞かなくても と怪訝な顔をされる。

 ぎりぎりプーノの港には着けたけれども、ここからのアレキパ行きの列車の発車時刻が迫っている。
15分前に駅の近くに着いて、ほっとしてアンティクーチョ(牛のハツの串焼き)を一本食べていると
「セニョリータ、これからどこ行くの?」
「アレキパ」
「もしかして列車?」
「そう」
「バカだね。駅は発車30分前に閉まるんだよ。もうだめね。」
「えー」
ダッシュで駅に向かう。標高4000mくらい+大荷物で。
やはり 閉まっている。
閉店とか業務終了とかいうのだけとても素早い。役所の窓口なんかも、閉まる1時間前ぐらいからせっせと帰る準備をしている。そのくせ始まりはきっちり小一時間遅れるくせに。
警備員をつかまえてわめく。
「30分前なんて知らなかった。来る時は3時間も列車が遅れたのに。まだ2分前だ。なんとかしてくれ。」と頼んだら駅員を呼んでくれた。が、列車はすでにガタン、ガタンと動き出している。
「さっさと鍵を開けてー」またダッシュ。4000m+大荷物で。
「セニョリータ、ゆっくり走れ。」と列車の車掌が言う。
「そんなこと言わないで列車を止めてよ」
走りだした列車を追いかけ、飛び乗りなんとか乗り込むことができた。

ジャングルキャンプ

ジャングルキャンプ(イキトス ぺルー)
村の長

オクタビオ と ジャングル

プカルパではけちって自力でジャングルの村を訪れようとして失敗し死にかけるはめになったので、
イキトスでは外国人観光客らしく奮発して、ガイドつきのジャングルツアー。
ジャングルの中で数泊キャンプ生活をすることに。
そのガイドの名前がオクタビオ。

 オクタビオは2年前まで、ジャングルに住んでいた先住民族。
観光客がくると、村人全員、急いで上半身裸、腰ミノをつけてそれ風にやっていたそうだ。
普段はTシャツ短パンだったらしい。 Tシャツのほうがぜったいラクだと言っていた。でもお金にはならないと。
2年前にガイドに転身。この人すごい能力があって、
ガイドになってから8か国語話せるようになったらしい(自称だが レベルは?)。
ジャングルで見たどの動物より、このおじさんが一番驚きだった。
商魂逞しいというか、ジャングルガイドをやりつつ、小商いを何気にはさんでくる。かなりやり手である。
しかし、そんなことよりその動物としての能力の凄さに感服した。
自分がどれだけ動物として退化しているのかがよくわかった。
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 鳥よせがでる 
口笛で鳥の鳴きまねをすると大きな群れが森に飛んでくる。数が夥しいのでまるでヒッチコックの映画みたいに大木に鈴なりになり、けたたましい鳴き声が響く。
グォッグォッ低い声で動物の鳴き声のまねをすると、なにか大型の動物が川の向こう岸で反応している気配がする。
オクタビオは豹だと言うけど姿はみえない。
確かにジャングルの奥で低くうなる声には迫力があってそれなりの大物であることはわかる。

視力がすごい。聴力もすごい。
「あそこに~がいる」と言われても、見逃してばかりいる私にいらついて、
というか、ウソばっかりと言い始めた私に怒りがつのってきて
途中からは私の頭を後ろからガシッとつかんで、見える方向に向けてくれるようになった。
するとほんとにそこにカピバラや なんとか手長サルがいた。
耳もすごい。ボートが来る音がすると言ってから1時間ぐらいしたら本当に来た。
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 夜、カヌーに乗って、夜光虫を見に行く。

支流の細く曲がりくねった川を音もなく進んで行く。木の枝が川面にはりだしている。

オクタビオは小舟の先に立って、口に懐中電灯をくわえて、銛で魚をつく漁をしている。
魚たちは、水面近くで、あまりにも無防備に寝ている。
このあたりで夜行性の敵はオクタビオだけなのか?
魚の熟睡の姿がとても間が抜けている。斜めになってたり、仰向けに近かったり。
その寝相がなんとなく笑いを誘う。オクタビオ獲り放題。
わあやった なんて喜んでいたのはしばらくの間で、
カヌーツアーが長すぎる。もう真夜中をすぎているぞ。

同乗の女性は虫よけの布を頭からかぶり座ったまま、舟の上で舟を漕いでいる(居眠り)。
翌日わかったことだが、魚を市場で売るための本気の漁だったのだ。
この人はほんとにやり手というか、ツアーをやりながら、ちょこちょこ自分の稼ぎを生み出す。
夜のカヌー体験も、別の見方をすれば、おじさんの漁を一晩中手伝ったことになる。
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ホクホクのオクタビオ
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眠いのに何時間も大量の虫の中で小舟に乗らされていた私たち。

ピラニアは入れ喰いで、赤ピラニア黄ピラニア白ピラニアで凶暴さが違うらしい。
とり肉で釣るのがピラニアっぽい。はじめはエサをつけていたが、途中からはピラニアがたくさん集まって興奮しているのか、エサなしでもいくらでも釣れた。この川とつながっている所でボートから飛び込んで水浴びとかしていたが、よくピラニアにかまれなかったものだ。
私たちが食べさせられるのは小骨が多く食べずらいピラニアで、私が釣ったナマズはいつ料理してくれるの?と聞いたら、市場に売ると言った。ナマズは美味しいので高く売れるそうだ。そのナマズの所有権は釣った本人ではなくツアーガイドのオクタビオにあるのか。どこまでガッチリしているのか、このおじさん。
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夜光虫がいっぱい。日本の蛍のような風情が全くない。
光がギラギラと強いし、瞬かない。最初はUFOかと思ったくらいである。
そのたくましさに途中からただの迷惑な虫になってしまった。

昼の蝶にしたって、わさわさいるとなんか美しくない。


はかない美しさって日本独特なのかもしれない。
自然も原色。

ジャングルではガーンと力づくで生を主張しないと、すぐに他の生命体に取り込まれてしまうのだ。
葉っぱの光の取り合い、微生物の勢力争い、喰うもの喰われるもの。 (繰り返し)
毒のあるもの、刺すもの、
噛みつくもの、分解するもの。
そのせめぎ合いの密度が濃くて速いので、逆に、自分という個体でがんばっていなくても、
何かに喰われて分解されて、またその辺の草になったりと、
あきらめてそのジャングル全体の生命に飲み込まれても別にいいかなと思えてくる。
 アンデスの高地の、生き物の気配が少ない乾燥した、空にむき出しにされた大地に立っている時に感じた生き物としての孤独感がここアマゾンにはない。押し寄せる命の賑やかさの中にいる。疲れるけど。

ガイドとしての能力もすごかったので感謝しておこう。
 カピバラ、猿 タランチュラ、軍隊蟻、ボア 
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 同行した人の足に虫が卵を産みつけ、ウジ虫がでてきた。
オクタビオがナイフで切開してほじり出す。

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穴をほっただけのトイレ 
ブツはあっという間に消滅 ペーパーだけが残るので、トイレの底は白。 

 タランチュラが小屋の壁にいた。
軍隊蟻の行進。助走をつけてできるだけ遠くに、行列の上をジャンプする。ズボンの上に靴下をかぶせないといろんなものが入ってくる。一匹ジーパンの中に入っていて、帰りの飛行機の中でえらいことになった。

暑いのに洗濯物が乾かない湿度。
湿気と生き物(微生物まで)の気配の濃さが体にまとわりつく。

お風呂は、小さい川で。ボート上でシャンプーして、とびこんでゆすぐ。
バシャバシャやると怒られる。ピラニア?と聞くとここにはいないと言う。
ではなく電気ナマズ?うなぎ?がアブナイらしい。
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翌日別の川でピラニア入れ食いだったけど。
ピラニアに指を噛まれたばかりの人の家に、その指を見に行こうって、どんなツアーや。
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けっこう血が出ているのに、おじさんは落ち着いている。サソリに刺されたら、刺したサソリをそのまま食べたら毒に勝てるなんて怪しい教えがあるが、要するに、パニックにならずに落ち着いて対処することの大切さを言っているのだろう。ジャングルの中では命に関わることがしょっちゅう起こるから、みんな度胸がすわっている。
キャーなんて叫んだ時点で負けてしまう

ボア 常温でぬめっとしているのに手に何もつかない面白い感触

帰りの飛行機
 リマへの飛行機がなかなか無くて、それでジャングルに行ったが、帰りに空港に寄ると、もうすぐ軍用機がリマへ行くという。これを逃したらまた最短で次の水曜日まで一週間足止めだ。しかし、ジャングル帰りだし、シャワーも浴びないと。荷物は宿に置いてあるし。 
しかたがないので、荷物を預けていた宿へダッシュでもどりそのまま空港へUターン。そして機上へ。

空港の待合室から飛行場のタラップまで、ふだん走ることのないペルー人たちがみんなダッシュするので、なんで座席決まっているのに慌てるのと聞くと、指定ではないと言う。飛行機が自由席。しかも常にオーバーブッキングがあるから、下手すると乗れない。

蟻が一匹ジーパンの中に入っていたらしく、飛行機の中で激痛が走り、座席でジーパンの上からつぶせるだけつぶして、隣の座席のおじさんに、いきなりジーパン脱ぐけどビックリしないで、蟻だから、蟻が噛んでいるの取り出すんだから、と断って蟻を取り出す。
やっぱりシャワーぐらい浴びたかった。

イキトスでは、「良い子は早くお家に帰りましょう」的な放送が流れていた。
あくまでも噂だが、 子どもをさらって臓器や目(角膜めあて)をとって、売るという えげつないことが横行していたらしい。目をとられた子どもが生きて見つけられたとか。本当かどうかはわからないが、でも放送は本当にあった。